東西圧縮回流記

仙台青春風の旅 ブーメランのように 

徳川家康ルート1

2024-06-09 | 趣味(山歩き・旅行・バイク・自転車・ほか)


今は昔、ディスカバージャパンという旅行キャンペーンがありました。

それにあやかった訳でもありませんが、コロナ禍のあとは海外に行く気にはなれず、国内巡りも面白いと感じるようになりました。題して「日本発見」の旅とでもしましょうか。

前回は神武天皇の東征ルートをバイクでたどりました。
日本発見 神武天皇の東征ルート - 東西圧縮回流記 (goo.ne.jp)

今回の「日本発見2」Discover Japan 2 は「徳川家康ルート」です。日光東照宮と江戸城跡(皇居)は何度か行っているので今回の旅では割愛しています。

実はウチのカミさんが大河ドラマを好んでおりまして(このセリフはどこかで聞きましたね)、徳川家康ルートはそのリクエストの一つです。北海道をソロでバイクで旅行していると、熟年夫婦というかリタイアした相当なお年のご夫婦が大型バイクをタンデム(二人乗り)で旅行しているのをよく見かけます。お二人タンデムでのバイク旅行とは楽しげでうらやましく、絵になって麗しいものですが、いつも後ろに乗ってダンナさまの腰に手を回して餅のようにくっついている奥様の勇気と根性に畏敬の念を禁じ得ません。

自分のこととなりますと本人は免許を取って3年ほどの若輩者で、さすがにカミさんとのバイク二人乗りで900km近くを走るのはご遠慮申し上げたく、アチラさんも決して望んではいないでしょう。ということで今回は通常の屋根付き四輪車(自家用車ともいう)でいそいそと出かけました。もちろん走るだけなら全行程ノンストップで13時間ですが、この歳で走り屋や暴走族ではありませんので、見学する史跡が多く、途中の要所要所で宿泊しました。



群馬県太田市
世良田東照宮


群馬県太田市は鎌倉時代は新田氏の所領だった
新田氏では鎌倉時代末期の新田義貞が有名

徳川家康の先祖は新田氏の系統にあたえる









群馬県から圏央道を経由して厚木へ、東名高速で静岡へ

まずは静岡の久能山東照宮へ

歩かずに行けると思うと大間違い
1,000段の階段を上る
ロープウエーは久能山頂上まで車で行って、そこから久能山中腹の東照宮へ往復するという込み入った方法が必要

下から登ったので1,000段の階段を息を切らせ30分の登高。山ならば何と言うことはないが、階段の予定は無かったので疲れは倍増。往復の下降はヒザにこたえる。


久能山東照宮

















久能山東照宮

久能山東照宮
徳川家康公御廟


久能山から静岡市内の駿府城跡へは近い


家康は幼少期に人質となって今川義元の居城である駿府城に暮らしたことがある。天下統一後、江戸城は2代将軍徳川秀忠の居城となった。晩年の家康は駿府城に居住した。


静岡 駿府城跡

駿府城公園内の徳川家康像



駿府城趾から浜松城趾へ
織田信長方についた徳川家康は働き盛りの壮年期は浜松城に居住した

浜松城趾



浜松城の石垣


徳川家康を支えた三河武士団


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ツバクロやひもじくないか給餌待ち

2024-05-26 | 仙台・東北


ツバクロも親鳥と同じくらいの大きさになった
子供の成長は早い

仕送りを待つ大きな子供のようだ

親にとってはそれが生きがいになる

場合によっては巣から追い出す

奨学金だけでは足りないよ




案山子 さだまさし

  








コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

バラが咲いた

2024-05-22 | 仙台・東北

「淋しかった僕の庭にバラが咲いた」



 バラが咲いた マイク眞木 1966年
作詞・作曲 浜口庫之



















瞬く間に50年以上が過ぎた




さらば青春 小椋佳 1976年
作詞作曲:小椋佳

 
 




「年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず」


劉希夷「代悲白頭翁」

 





季節の中で 松山千春 1978年
作詞作曲:松山千春

 




現在は百花繚乱です



















コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

太平洋から日本海

2024-05-17 | 仙台・東北

金華山が見える
七北田川河口 仙台港

5月は天気が良い
薫風に誘われてツーリング
約560km



周遊ルート
太平洋から日本海



おかえりモネ
登米市 宮城県

何年か前の朝ドラ



陸前高田駅前 四海楼
岩手県

昼食は名物マーボーラーメン




佐々木朗希は陸前高田の出身

お父さんは2011年津波で亡くなられた

四海楼の店主と佐々木朗希のお父さんは友達だったそうだ
朗希 頑張れ!




象潟海岸 秋田県



象潟海岸



秋田県象潟から鳥海山




鳥海山5合目から象潟方面を望む

アイゼンとピッケルは持ってこなかった
上に登るのは次回



5合目から鳥海山を望む



鳥海山5合目駐車場


長年にわたり両足を酷使してきた
長時間の歩行が困難になった

右足はシンデレラのガラスのような変形足首
左足はジュリエットの華麗じゃない外反母趾
(シンデレラさんとジュリエットさん、無断引用してゴメンナサイ)

バイクは歩行補助器の一つです



鉾立山荘




パーキング

ツバメさん おかえりなさい
巣を作っていた
のど赤き玄鳥(つばくらめ)・・・

かわいいツバメのヒナたちは未だタマゴかな?








コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

斎藤茂吉と蔵王

2024-05-06 | 仙台・東北
蔵王の御釜

久しぶりに蔵王を歩いてみた
冬期は火口湖が凍結しその上に積雪がある
ゴールデンウィークのころに一部を残して融解し水面が現れる



熊野岳避難小屋が見える

蔵王の主峰 熊野岳への登り
少し風が強かった


蔵王山神社の避難小屋



熊野岳頂上の道標


斎藤茂吉の歌碑
蔵王連峰 熊野岳頂上にある

「陸奥(みちのく)の・・・茂吉」



裏面には設置者銘が刻まれている

「昭和九年八月 高橋四郎兵衛建立 石工鈴木惣兵衛」



斉藤茂吉は山形県上山(かみのやま)の出身

帰りは上山に行ってみる


斎藤茂吉記念館は山形県上山市にある




齋藤茂吉先生像




「陸奥(みちのく)をふたわけざまに聳(そび)えたまふ蔵王の山の雲の中にたつ」



建立した高橋四郎兵衛は実弟です

斎藤茂吉
1882年〈明治15年〉5月14日 - 1953年〈昭和28年〉2月25日)
山形県南村山郡金瓶(かなかめ)村(現:上山市金瓶)の守谷伝右衛門熊次郎といくの間の三男
 
茂吉は14歳のとき
山形県上山から徒歩で笹谷峠を越え仙台まで行った
仙台から汽車に乗って東京へ行った
山形まで汽車が来ていなかったという
茂吉は見込まれて東京青山脳病院の斎藤家に養子に入った

開成中学
第一高等学校
東京帝国大学医学部卒

相当な秀才だった

ーーーーーーーーーーーーー
(訂正後)
斎藤茂吉(1882年生)は夏目漱石と一緒になった写真があった
茂吉は伊藤左千夫に師事したことがある
伊藤左千夫は正岡子規の門下
その関係で夏目漱石との集合写真が残っていたのだろう
夏目漱石1867年生 正岡子規1867年生 秋山真之1868年生
ーーーーーーーーーーーーー



茂吉の故郷上山への想いは強く
実母が危篤で一時帰郷し母親を見送っている

「のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁(はり)にいて足乳根(たらちね)の母は死にたまふなり」

高校の教科書に載っていたような気がする
今のボクにはずっしりと堪える歌だ






「旅する斎藤茂吉 その瞳は何を映したか」
4.27~8.31 斎藤茂吉記念館で開催中

斎藤茂吉は日本国中を旅している
ボクは最近、バイクや飛行機でやっと日本の各地を訪ねることができた

茂吉は留学時代ドイツほか各地を訪れている
ボクも茂吉が行った多くの都市を訪れた


茂吉は柿本人麻呂の研究者だった

柿本人麻呂 西暦680年ころ 飛鳥時代
古事記 712年 奈良時代
日本書紀 720年
万葉集 759年 日本最古の歌集 大伴家持ほか




環翠亭
斎藤茂吉記念館に隣接

蔵王連山を望む



茂吉が眺めた蔵王連山
熊野岳、刈田岳が見える



斎藤茂吉の別荘

箱根強羅にあった別荘 箱根山荘の「勉強部屋」の建物が
山形県上山市の斎藤茂吉記念館に隣接して移築された


斎藤茂吉の「勉強部屋」


箱根強羅の別荘にて
次男の北杜夫(斎藤宗吉)が親父茂吉の炊事など身辺の世話をしたそうだ

北杜夫は斎藤茂吉の次男
旧制松本高校から東北大学医学部卒

2011年の東日本大震災のあとの数年後に
山形で北杜夫の講演会が開催予定だったことがある
ボクはその講演会に行く予定だったが
北杜夫さんが体調不良とのことで中止になった
あれが最後の機会だった

ボクが上高地や穂高に何度も通うようになったのは
潜在的に北杜夫さんの影響が大きい

北杜夫「楡家(にれけ)の人々」は非常に面白い小説でした



斎藤茂吉の生家


生家の隣にある私塾

幼少のときの勉学は如何に重要かが判る




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画オッペンハイマー

2024-05-04 | 安全保障

映画 オッペンハイマー
監督 クリストファー・ノーラン
主演 キリアン・マーフィー
アカデミー賞7部門を獲得したそうだ

日本で公開されたのは今年2024年3月29日

当時は鹿児島にいた
バイクで走っていた
一日ぐらいは雨でつぶれるだろうと思った
停滞の日に映画に行ってみよう
近くでは鹿児島の天文館シネマパラダイス
シネマサンシャイン姶良
宮崎キネマ館などがある

停滞に合わせて「オッペンハイマー」を見ようと思った

残念ながらというか運良く好天に恵まれた
鹿児島宮崎の映画館には行かなかった

つい最近地元の映画館で見た

3時間近くの長編だった
オッペンハイマーは理論物理学者
ケンブリッジ大学キャベンディッシュ研究所 ニールス・ボーア  
およびゲッティンゲン大学マックス・ボルンに師事
昔懐かしい人が実像に近い形で映画に出てくる

映画の中ではハイゼンベルク、ディラックなどの懐かしい名前が出てくる
1939年ドイツのオットー・ハーンらが核分裂実験を成功
1942年10月 マンハッタン計画承認 核兵器開発開始
1942年12月2日 シカゴ大学フットボール場観覧席下の倉庫 フェルミの臨界実験
 
ボクが大学教養部にいたころは原子核物理、同位体元素などに興味津々となった。中学生のころから考えていた商船大学、航空大学校などはいつの間にか置き換ってしまった。

核分裂の発見
どうも分裂片の質量が合わない
膨大なエネルギーが出ているようだ
中性子の役割
連鎖反応の発見
臨界の概念
爆薬を使った起爆装置
ロスアラモスのトリニティ実験

たったひと言、一片の情報から着想を得る
物理学者は次のステップへ進む
スパイの共産主義者も同様だ
陰謀が渦巻く

3時間の映画は圧巻だった


ボクが海外の国際会議で初めて発表したのは1983年
遅いデビューだった
カリフォルニアのサンタバーバラだった
会議が終了後、いくつかの原子力関連施設を見学した
アルバカーキに宿泊し、ロスアラモスにも行った
そこで広島原爆リトルボーイの実物大模型を見た


避難の丘 仙台
東日本大震災 津波から13年


大阪南港より遠くに明石海峡大橋

淡路島と神戸須磨の鉢伏山の間に橋梁の2本の主塔が見える

阪神淡路大震災から29年
大東亜戦争敗戦から79年


中共、ロシア、北朝鮮は日本の首都や大都市などに照準を合わせている
弾道ミサイルの先端には水爆がある
水爆は核融合を併用する
破壊力が格段に大きくなっている
一発で首都圏では400万人が死亡する
弾道ミサイルを甘く見てはいけない
自分の国と家族は自分で守る

微量の放射線では人は死なない
日本のエネルギーの自給率は7%
核エネルギーは否応なく人類に拓かれた
核エネルギーを利用する原子炉しか道がない
経済力を維持するには安定した安価なエネルギーが必要

エネルギーを甘く考えてはいけない
定量的に見なくてはいけない
国防を人任せにしてはいけない



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

佐渡 草木もなびくよ

2024-05-02 | 趣味(山歩き・旅行・バイク・自転車・ほか)

新潟港発 佐渡行き
佐渡汽船フェリー




新潟港発



佐渡島 両津港

佐渡の最高峰は金北山 標高1,172m
けっこう高度感がある

佐渡の金北山は仙台の泉ケ岳 (標高1,175m)と同じくらいの高さ
神戸の六甲山(標高931m)より少し高い
六甲山は神戸港外の船の上から見ると屏風のように連なり高度感がある
金北山の連山は意外に高かったので新鮮な驚きがあった



佐渡島を海岸沿いに一周すると約200km

一日がかりの道のりだ
島の人に伺うと自転車やバイクで佐渡一周する人が多いそうだ




弾埼灯台 佐渡北端



灯台守 喜びも悲しみも幾年月

像の手入れはなく朽ち果てそうだった
もうそういう時代ではなくなったのか

喜びも悲しみも幾年月(昭和32年) 若山 彰  








名所 二つ亀



名所 大野亀

仙台から新潟まで片道250km 往復500km
佐渡一周200km
天候に恵まれ快適なバイクのツーリングでした



佐渡といえば金山



金鉱堀り
人はみんな生きるために必死に働いた



金北山を望む



残雪があった



フキノトウも大きくなった



金北山 山頂 標高1,172m

頂上で出会ったのは女性1人のみ
その方が「このポーズの写真がいい」と言われたので
彼女のスマホで撮影してさし上げました
「せっかくなので、記念にあなたも同じポーズで写真を撮りましょうか?」
とおっしゃったので、
誘いに乗って同じポーズの写真を撮って頂きました
軽薄!

両津港が見える
佐渡最高峰だけあって四方は絶景です





帰りのフェリー
佐渡両津港発



砂山  北原白秋作詞 中山晋平作曲  


三橋美智也  佐渡おけさ  


ひばりの佐渡情話  美空ひばり


佐渡裕
Shostakovich Symphony No.5 Movement 4



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宮古島地下ダム

2024-04-18 | 趣味(山歩き・旅行・バイク・自転車・ほか)

宮古島 福里地下ダム



ダムカード
宮古島 福里地下ダム



ダムカード
宮古島 福里地下ダム
地下に深さ27m 幅1,790mのダムが設置されている
貯水量1,050万m3 20万トンタンカー52隻分の水を貯める

地下ダムは水を通さない島尻泥炭層の上に隙間の多い琉球石灰岩層があり、そこに地下水を貯めるためのコンクリートの堰をつくる

宮古島の特殊な地下構造がこのダムを生み出した

ダムの造り方は3本のオーガ(穴掘りドリル)で掘削しながらコンクリートを流し込んで連続して固めるという芸術的な手法に感銘を受けた



地下ダム資料館



地下ダムの一部分を展示



FP(ファームポンド)という貯水槽
高台に設置されている
島内に何カ所かある
地下ダムから汲み上げた水をタンクに貯蔵する
サイフォン方式でスプリンクラーで農地に散水する



ファームポンドから見た農地
農地の下が貯水ダム


宮古・地下ダムの先駆者たち ~地下ダムが完成するまで~


宮古島・地下ダムの先駆者たち ~宮古に地下ダムができるまで~ | 一般社団法人九州地方計画協会 (k-keikaku.or.jp)


宮古島の地下ダムの仕組み  




宮古第二発電所 55MW
ガスタービン重油LNG併用


宮古発電所 15MW
重油ガスタービン


宮古島市浄化センター

人が生活するには何と言っても、給水、電気、下水処理のインフラが基本




部屋を短期レンタル


窓の外にはMSCのクルーズ船が停泊していた
那覇を起点に沖縄諸島から台湾まで短期クルーズするようだ



東平安名崎(ひがしへんなざき) の灯台
原付バイクをレンタルして島内逍遥
一周約100km




コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本発見 神武天皇の東征ルート

2024-04-11 | 歴史散歩

JAXA(宇宙航空研究開発機構)
内之浦宇宙空間観測所 M(ミュー)センター 鹿児島県
イプシロンロケット打上げ場

まずは鹿児島県志布志港に上陸し、内之浦、鹿屋市を目指し、霧島神宮に向かった




鹿屋(かのや)航空基地資料館
海上自衛隊航空基地

旧・鹿屋海軍航空基地からは908人の特攻隊員が出撃
遺影が祀られている
国と家族のことを思ってこんなにも多くの若者が飛び立ったのか
思わずぐっとこみ上げるものがある

以前にYさんから見学を薦められていた
特攻機は鹿屋のほか知覧などの航空基地から飛び立った
やっと来ることができた




高千穂河原
霧島神宮 古宮址天孫降臨神籬斎場 

高千穂峰(霧島山)登山口




高千穂峰(霧島山)頂上にて
標高1,574 m
宮崎県と鹿児島県の県境に位置する火山
逆鉾 天孫降臨伝説の山




高千穂峡





神武天皇の東征ルート
日本書紀をもとに描かれた https://nihonshinwa.com/archives/542
橿原神宮 奈良県  https://kashiharajingu.or.jp/





高千穂神社 宮崎県



高千穂神社
宮崎県

神武天皇の一行は高千穂峡、高千穂神社が含まれるこの地域から東征を開始した




やまなみハイウェイ展望台から阿蘇を望む



長者原から久住山を望む




狭霧台から由布院盆地を望む



別府港発→大阪南港行
さんふらわーむらさき



さらば別府の町



別府から瀬戸内海経由大阪行

淡路島も通過



早朝に大阪南港到着



南紀白浜温泉 和歌山県

この地で小学中学の同窓同期会が開催され参加した
九州から来たと言うと皆さんから喜んで頂いた
みんな子供の頃の面影があり60年間をタイムスリップ



南紀白浜にある
当日は残念ながら休館日



橋杭岩 和歌山県串本




熊野速玉大社
和歌山県新宮市



熊野荒坂津
三重県熊野市


熊野荒坂津




熊野荒坂津



熊野荒坂津 三重県
神武天皇最終上陸地

神武天皇一行は大阪方面から大和を攻めるが敗退し、紀伊半島を東に回り、熊野荒坂津に上陸し、熊野路を北上し奈良大和に攻め入り、王権を獲得した。


追伸
 尊敬する読者からご指摘頂き、カンタータ「海道東征」があることを初めて知りました。教えて頂き有難うございます。1941年録音で詩の原作者は北原白秋、亡くなる直前に詩が作られた。北原白秋が渾身を込めて創った詩です。大東亜戦争直前とはいえ素晴らしいカンタータです。


作詞は北原白秋、作曲は信時潔 交声曲「海道東征」(詞字幕有) , Nobutoki: Cantata "Kaido Tose" (1941)  


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

龍馬おりょうの新婚旅行

2024-04-10 | 趣味(山歩き・旅行・バイク・自転車・ほか)
霧島神宮(鹿児島県)
3月末の時点で桜は満開だった

坂本龍馬とおりょうさんが新婚旅行で霧島神宮に参拝したという
近代日本の新婚旅行の先駆といわれる


霧島神宮の桜


霧島神宮


霧島神宮


霧島神宮


霧島神宮

御由緒 – 霧島神宮 (kirishimajingu.or.jp)
https://kirishimajingu.or.jp/history/ より
「霧島神宮は天照大神の御神勅を戴いて、三種の神器と稲穂を捧持して 高千穂峰に天降りまして天壌無窮の皇基を建てられた主祭神 日本の肇国の祖神 瓊瓊杵尊(ににぎみのみこと)、相殿神に六柱の皇霊を配祀 」

巖上松
あらし吹く 世にも動くな 人ごころいはほに根ざす 松のごとくに
明治天皇御製(明治37年)




帰りは三重県桑名市にある桑名城趾のお堀の桜
この桜は先週末

関ヶ原合戦後、徳川家康は慶長6年(1601年)徳川四天王の本多忠勝を桑名10万石に封じた。子孫は短期間で播磨の姫路城に移ったとある。江戸時代になると各地で移封、転封など国替えや断絶などが多く行われている。薩摩、長州、伊達など一か所に家系が連続しているのは珍しいようだ。


桑名城趾(三重県桑名市)


桑名城趾


桑名城趾


桑名の堤防

揖斐川の下流で長良川が合流している
海は近い

桑名といえばハマグリ


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする